映画”ALWAYS三丁目の夕日,64”を観ました。

"You Tube"で、映画”ALWAYS三丁目の夕日'64”を観ました。

この映画は、”三丁目の夕日”全三部作の中の三部目にあたるものです。

舞台は東京の”下町三丁目”ですが、東京タワーが近くに臨める街であることから、現在の”港区六本木”あたりの街(街の様相は、大分違いますが)と推定されますね。

この街を舞台に、1964年(昭和40年ー東京オリンピックの年)当時の世相を背景に、”売れない小説家一家”と”クルマの修理屋一家”が織りなす笑いと涙に満ちた物語です。


この時代を映すものとして、模型の飛行機、モノクロTVからカラーTVの登場、都電、みゆき族、昔の東京タワー、ミゼット、駄菓子屋などが登場します。

ものすごく懐かしいですね。

何よりも懐かしいのは、’64東京オリンピック開会式当日に、港区の空に

自衛隊ジェット機により、”五輪マーク”が描き出されたことです。

私、港区の赤坂に住んでましたので、実際に、この空に浮かぶ”五輪マーク”を観ることが出来ました。

この映画のストーリーもさることながら、この時代の世相に何よりの懐かしさを覚えますね。

コメントをお書きください

コメント: 14
  • #1

    イサーン在住日本人 (木曜日, 13 8月 2015 21:55)

    NAOさんお晩です。
    ナオさんは赤坂で五輪マークを見たのは高校生でしたか?
    その時は何を考えていたのでしょうか?
    何をしていたのでしょうか?
    私も皇太子殿下の御成婚から昭和の終わり迄の時代が、ナオさんと同じく懐かしく思い出します。この時代は現代に於いて一番輝いてたのではないしょうか?

  • #2

    NAO (木曜日, 13 8月 2015 22:12)

    イサーン在住日本人さん。本ブログへのコメント投稿、ありがとうございます。’64東京オリンピックの時、私は、”大学受験浪人”中でした。
    代々木の予備校に、毎日、通っていました。オリンピックどころではなく、実際の競技を観たのは、マラソンだけです。
    マラソンコースの予備校近くの千駄ヶ谷通りに、予備校の授業をサボって見に行きました。その時、マラソン選手が走るスピードの速さにビックリしましたね。

  • #3

    MK (金曜日, 14 8月 2015 06:16)

    高度成長期の前回の東京オリムピック、
    生で観られた、
    自衛隊機の五輪マーク&マラソン素晴らしいですね…!!
    私はこの前の年に生まれました…
    NAOさんのウドン発…今後もいろんな事を伝えた言ってもらいたいです…楽しみにしています(^_^)

  • #4

    NAO (金曜日, 14 8月 2015 09:46)

    MKさん。久しぶりのコメント投稿、ありがとうございます。
    MKさんは、前回の東京オリンピックの前年のお生まれ。ということは
    私より18歳もお若いということですね。
    あと、東京オリンピックで印象に残っているのは、”東洋の魔女”と呼ばれた女子バレーボールチーム、ウウェートリフティングの三宅義信(共に金メダル)。それと圧倒的な強さだったマラソンのアベベ(エチオピア)です。

  • #5

    lanka (金曜日, 14 8月 2015 11:06)

    これを見て、Youtubeで見ました。
    三部作の最初だけ見逃しています。

    赤坂に住んでいたんですか。 都会っ子ですね。
    当時の東京のことは時々友達からよく聞きました。
    その友達は渋谷の銃砲店に立てこもった「少年ライフル魔事件」に巻き込まれた話とか映画二十四の瞳のボンネットバスを作った話とか色んな話をしてくれるので聞いていて楽しいです。
    彼はスリランカにいるので今では時折スカイプで話す程度ですが。

  • #6

    ぺんぺん草 (金曜日, 14 8月 2015 21:19)

    1964年・・・当時は中学1年生でした。
    東京オリンピック開会式は白黒テレビで観ましたが、航空自衛隊のブルーインパルスが上空で宙返りをして五輪を描いた写真が翌日の新聞ではカラー印刷で掲載されていました。
    同じ年の晩秋に友人と東京タワーに「登り」ましたが、文字通り、階段を駆け登りました・・・神谷町・狸穴界隈は『三丁目の夕日』の場面と同じ光景で桜田通りを都電が走っていました。

    おまけ : https://youtu.be/z9pHlSn2uIQ
           https://youtu.be/p2Oz89K6o1Y 

  • #7

    メンカーム (金曜日, 14 8月 2015 23:31)

    私が生まれる3年前のお話しですね。
    ピックアップトラックやミゼットを見て
    タイみたいだなと子供と話しました。
    東京タワーはタイ大使館へ子供のパスポートを作りに行った時に
    息子と登りました。
    東京で今も当時と変わらないのは東京タワーだけですか?

  • #8

    NAO (土曜日, 15 8月 2015 11:55)

    lankaさん。度々のコメント投稿、ありがとうございます。
    ’64当時の日本(東京)は、”高度経済成長期”のハシリの時期でした。
    オリンピック以前の日本(東京)は、現在のタイの地方(田舎)都市と社会的にも文化的にも、余り変わりはなかったように思っています。
    ですから、ウドンに住む私にとって、日本(東京)への郷愁、子供時代の懐かしさを覚えるのではと思います。

  • #9

    NAO (土曜日, 15 8月 2015 12:14)

    ぺんぺん草さん。又もやのコメント投稿、ありがとうございます。
    私と6歳違いのぺんぺん草さんは、’64東京オリンピック当時の記憶(体験)は、ほぼ同じですね。
    そうなんです。東京タワーは、昔も今も、六本木狸穴、飯倉方面の向こう側に聳え立っています。
    ’64東京オリンピック当時の参考資料の数々、ご教授ありがとうございます。

  • #10

    NAO (土曜日, 15 8月 2015 12:42)

    メンカームさん。度々のコメント投稿、ありがとうございます。
    そうなんです。息子さんが、ピックアップやミゼットを観て、「タイみたいだな」と言ったのは、大正解です。
    ’64東京オリンピック当時の東京や地方都市の様子(特に文化)は、現在のタイ(バンコクを除く)と似通っていました。
    ですから、幼少から大人になるまで、日本にいた私にとって郷愁を覚えるのだと思います。それだけ歳をとった証拠でもありますがネ。

  • #11

    NITTAYO (日曜日, 16 8月 2015 09:17)

    NAOさん
    ご無沙汰いたしておりました。
    ウドンにもある「三丁目の夕日」、私の住まいの一つ南側の路地には不法滞在のラオス人家族が多く居りますが、その子供たちは日本から持ってきたお菓子を目当てに遊び来ます、人が来ればおもてなしをするのが江戸っ子の気性の母親は子供たちに与えるのが楽しくて彼らから屈託のない笑い顔に元気を頂いているです。
    タイ妻は家の中には子供たちを入れるなと言いますが、私と母親は来てくれた事に感謝の気持ちなのです。
    来年3月までは仕事上のパートナー達を見捨てて自分勝手な行動が出来ないのですが、気力・体力・知力が低減しているにもかかわらず頼られしまうと断る事が出来ない自分にストレスを感じております。
    でも残りの時間をウドンで過ごしたい故に来年からは本来の仕事でウドンで出来る設計(原子力、造船)のみにハンドルを切る事を考えております。
    上の書き込みにある、飯倉・狸穴・六本木・麻布とキーワードだけで美智子妃がテニスをした麻布ローンテニスクラブに見に行った事、狸穴の同級生の御屋敷で過ごした事、甲州街道でアベベの走りを見た事を懐かしく思います。


  • #12

    NAO (日曜日, 16 8月 2015 11:37)

    NITTAYOさん。久々のコメント投稿、ありがとうございます。
    NITTAYOさん、日本で相変わらず元気にお仕事をされているようで、
    たいへん嬉しく思っています。
    ’64東京オリンピック当時の記憶、思い出などは、私と家が近かったせいか同じですね。
    NITTAYOさん、来年4月以降は、ウドン定住。嬉しいです。
    お待ちしています。
    (NITTAYOさんもよくご存知のウドン在住のKさん。つい一週間前に
     バンコクへお引っ越しされました。お知らせしておきます。)

  • #13

    ポンペン (金曜日, 21 8月 2015 14:54)

    三丁目を見ました。涙涙の懐かしさです。1946年生まれなのでひとしおでした。東京オリンピックは大阪からサッカーの試合を見に上京した思い出があります。

  • #14

    NAO (土曜日, 22 8月 2015 12:04)

    ポンペンさん。初めて?のコメント投稿、ありがとうございます。
    ポンペンさん。1946年生まれということは、私より1歳お若いわけですね。
    ’64東京オリンピック時は、「大阪からサッカーの試合を観に」。
    確かサッカーでは、日本は、釜本選手の大活躍で銅メダルを獲得したんでは?
    それにしても、’64東京オリンピック時の思い出は、尽きることはありませんね。懐かしいです。