私の‘高校時代の思い出’です。

舟木一夫の“高校三年生”。我が高校時代で一番、印象に残っていて

とても懐かしい曲です。この歌の歌詞内容は、‘私の高校生活’そのものでした。

 

先日、私の小学校・中学校時代の親友と電話で、同級生達の近況などを聞いたのです。話しをしてる最中に関係なく、ふと、‘高校時代’のことが、アタマの中に浮かびあがって来ました。

私、今でも、高校時代のことが一番懐かしいです。

 

卒業した高校は、都内港区・麻布十番近くにあった某都立高校です。

私が高校に通ってた頃は、日本の‘高度成長経済’の‘走り’の時期でした。

1964年の‘東京オリンピック’を控え、東海道新幹線が開通。

都内でも、国立競技場など競技施設の建設工事、都電の撤去と道路整備(首都高整備)などが急ピッチに進められていました。

何かとあわただしい世の中でしたね。

 

私の高校生活(青春時代?)は、良いことは余りなかったですね。

学校の成績も悪く、メガネを掛けた‘ブ男’。女の子にもてたことは一度もなし。そのウサを晴らすが如く、授業をサボッっての喫茶店通い(タバコを吸う為)、それと、新宿歌舞伎町へ繰り出し‘パチンコ’と‘ラッキーボール’に興じてました。‘パチンコ’では、補導されたこともあります。

マージャンを覚えたのもこの頃、休みの前日には、友達の家で、‘徹マン’もよくやりましたね~!

お金が無いので、又、制服姿なので、お酒を飲みに行った事は、全然、ありません。(でも、家にいる時には、飲んだこともありますよ~。)

又、クラブ活動の帰りには、麻布十番商店街にある有名な‘たい焼き屋・浪花家’へは、しょっちゅう行っていましたね。

高校内生活で良かったこと、嬉しかったことは、一つだけあります。

それは、‘学園祭’時に催される‘フォークダンス’の自主練習(自由参加で10日間くらいありました)があったことです。

私、この時とばかり、‘憧れの女の子’を誘い、毎年、毎日、参加してました。

この‘フォークダンス’、冒頭の‘高校三年生’の歌詞そのままでした。

 

今でも、その頃の同級生達とは、お付き合いさせてもらっています

(電話やメールで)。

       数年前、日本(東京)に行った時、高校の同級生達

       がクラス会を開いてくれました。とても、嬉しかった

       ですね。

      以上3枚の写真は、2年前、家族で東京に遊びに

      行った時、高校の同級生達が、やはり、‘クラス会’を

      開いてくれました。

      3枚目の写真、向かって右側は、女優の藤田弓子さん

      です。左が、我がカミさん。真ん中が我が息子です。

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コメント: 8
  • #1

    KYO (金曜日, 15 5月 2015 19:40)

    Naoさん、いつもブログ更新ごくろうさまです。
     舟木一夫は甘いマスクと少し鼻からぬける声で若い世代だけなく日本中を魅了しましたね。後にテレビ番組のテーマ曲で<銭型平次>を歌っていましたが、ああいう歌が舟木さんの最も得意な分野なんだと思います。品の無い言い方ですが大きな<湯船>に漬かって歌いたくなるような歌なんです。
     舟木一夫が現れた時代、日を追うごとに豊かになっていく生活を誰もが享受し、明日は今日より必ず良くなると信じることのできた昭和のあの頃はまさに時代そのものが<高校3年生>だったのではないでしょうか。
     Naoさんより少し後輩の私は<星に歌おう>というラジオの深夜番組が夜のお友達でした。荒木一郎さんの<空に星があるように>なんて好きでしたね。
     高校3年生が大ヒットした時代に高校生であった人たちは現在は60歳代後半になりました。この世代の偉いところはいつまでも<青春性>を失わないでいることですね。
     今の若い世代を批判することはしませんが、Naoさんのような高校3年生世代はどこか愉快な世代だと思います。

  • #2

    NAO (金曜日, 15 5月 2015 21:44)

    KYOさん、又々のコメント投稿、ありがとうございます。
    “高校三年生”が大ヒットしたのは、確か、私が高校2年か3年の時だったと思います。
    高校の校内放送で盛んに流していたのを、覚えています。
    私の高校生活は、当に、‘高校三年生’の歌詞そのものでした。
    2年後に“東京オリンピック”を控え、更に、7年後くらいに
    “大阪万博”開催が決定されるなど、日本全体が、イケイケドンドンの時代でしたね。
    その頃、人気のあった東京ぼん太のギャグ「ユメもチボーもない!」どころか、「夢も希望もある」ある時代でした。
    でも、私の高校生活では、‘彼女’も全くできず、2年後に大学受験が控えており、先が見えない灰色の青春時代でした。その割には、ケッコウ遊んではいましたが‥。
    KYOさんが仰るように、昭和38年、39年辺りは、日本全体が、夢も希望もある「高校三年生」だったような気がしますね。KYOさんの時代分析は鋭い!

  • #3

    KAZU (土曜日, 16 5月 2015 09:16)

    NAOさん おはようございます
    懐かしき、良き時代でした。
    橋 幸夫、西郷 輝彦、との 歌謡曲黄金時代。
    私は中学3年生、でしたが 毎日、世界地図を見ては此処に行こう
    あそこに行こうと、夢をふくらませていました。

  • #4

    NAO (土曜日, 16 5月 2015 10:09)

    KAZUさん。本ブログへのコメント投稿、ありがとうございます。
    あの頃(‘1東京オリンピック1964’前後)が、今、思えば、日本にとって、一番良い時代だったかも知れませんね。
    日本中が、ワクワク、ウキウキしているような、そんな時代でした。グローバルな考え方も芽生えてきた時代でもありますね。KAZUさんが世界地図を見ていたように‥です。
    私、まさか、後年、タイに住むなんて考えも及びませんでしたが‥。

  • #5

    NITTAYO (土曜日, 16 5月 2015 12:29)

    naoさん

    いつもブログ更新ご苦労様です。

    NAOさんが卒業した高校名も変わって仕舞いましたね、私の同級生では東映の悪役時代劇俳優の山形勲氏の娘さんがおりました。
    最近、YouTubeで東映の時代劇映画を見る事ができますね。
    数週間まえにタイ焼きの「浪花屋」さんに行ってきました、なんせ麻布十番旧女将さん会の生き残りは「浪花屋」と私の母親だけに成ってしまいした。また麻布十番温泉はコイン駐車場に成って仕舞いました。

  • #6

    JOSAN (土曜日, 16 5月 2015 19:50)

    私の高校時代はロックバンドの練習に、明け暮れて居た不良高校生でしたね。
    当時はバンドを遣る奴は不良と言われて、白い目で見られて居ましたが楽しい学生生活でした、学校に無断で年を誤魔化して、夏は夜にビアガーデンで演奏して、バイトして居たマジで悪ガキでした。
    そのバンド仲間の悪友の1人とはもう50年近い付き合いで、日本にー時帰国する度に東京で逢って居ます。

  • #7

    NAO (土曜日, 16 5月 2015 21:13)

    NITTAYOさん。又々のブログコメント投稿、ありがとうございます。
    ‘麻布十番商店街’へは、もう10年?くらいは行ってませんので、その頃よりも、大分、変わっているでしょうね。
    私が卒業したJ高校は、7,8年前に廃校になりましたが、5年ほど前に、新たに、フリースクール?‘六本木高校’として復活したそうです。嬉しいですね。
    ‘浪花屋’のたい焼き。今でも食べたいです。‘しっぽ’にまで‘あんこ’が入ってて、それはもう美味しかったですね。

  • #8

    NAO (土曜日, 16 5月 2015 21:33)

    JOSANさん。毎度毎度のコメント投稿、ありがとうございます。
    その当時(昭和40年以後?)、ビートルズ、ローリングストーズなどが人気になり、日本にも学生を中心に数多くのロックバンドが流行りましたね。
    そうですか。JOSANさんもその中のお一人だったんですか。不良なんかじゃないですよね~!
    ホントの不良は、当時、‘愚連隊’と呼ばれていた、俄かヤクザみたいな連中です。(今で言えば、ヤンキーとかチーマーと呼ばれてる連中ですかね)
    私の高校の友人達も、‘ロックバンド’ではありませんが、‘フォーク(ソング)バンド’をやっていました。
    当時は、‘バンド’なんかやってると、女の子にモテモテ。
    私は、その横で、羨ましそうに見てるだけでした。